闘病を見つめて4

今回の手術は、さすがにお腹を30cmくらい開けるリスクが大きい手術という事もあり家からあまり外出しない親を一緒に連れての大阪入りでした。

前の日に血液検査やらなんやら必要な事を済ませた手術当日の朝、自分の足で看護婦さんに連れられて手術室へ入っていくのをお見送りしました。(自分の足で手術室に入るなんて、今考えるとすごいことです)

私たちはただ時間の経過が過ぎる事、無事に戻ってくること、ただそれだけを祈っていました。2、3時間くらいが経過したころ、連絡が入りました、それはリスクの中の1つ、お腹を開けてみたところ、放射線・抗がん剤の影響で非常に組織が脆く弱くなっているため人口肛門を覚悟してもらえないか?という連絡でした。

リスクはつきものですが、これは想像以上のリスクになりました。

旦那様が仕方がないという決断で、了解をしてそこからまた待つ事、時間が過ぎました。いつ呼ばれるかわからないのでお昼も取らずにまち、夕方に差し掛かったころにやっと先生に呼ばれ、お腹の中を40度前後の抗がん剤で洗う温熱療法、できる範囲の切除はしたと、そんな報告だったと思います。

手術室から出てきた妹を確認でき、ほっとする間もなく私と両親は急いで飛行場へと向かいました。

最初からテレビ出演した先生という事もあり、入院期間が決められていました。高熱や体調によっては少し伸ばすのは可能でしたが、基本的には最長2週間だったと記憶しています。

術後はお腹の傷口を全部ふさぐのではなく中の膿などを排出できるようにお腹から管が出ていました。それと人口肛門という事でストーマがお腹に。

少し微熱が続く日々、かなりの内臓を切除した部分、体重ががくんと減ってしまいふらふらすることもしばしば、それでも何とか4日、5日と経過するうちにすこーしづつ元気を取り戻していたかのような大阪での入院生活でした。

お約束の2週間、何とか歩ける、微熱はあるけど帰りたいという気力で飛行機に乗って帰ってきました。羽田へのお迎えを準備万端にして。

自宅に帰ると子ども達がいて休養なんてできない状態になるので、わが家で少しゆっくりしてもらう計画でした。

しかし、戻ってきて翌日、飛行機の疲れといろんなことが負担になったのか体調が悪くなり慌てて東京で見てもらう予定にしていた病院へ運びます。

待っている間に熱がどんどん上がり、ぐったりと衰弱していきます。しばらく待ってやっと病室のベットに移れました。退院してきたばかりですが、また入院です。