育った環境 2

田舎で自営をやっている家、皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか?

私が育った家は古く、鍵というものはほぼ無いに等しい状態。

常にオープンスペースで、急に休みの日でもお客さんがきたり、常に家に誰かいる状態。そんな中で、学校も「家の近く」だけでの選択、長女なので前例がないのでそれが当たり前、親のいう通りにするのが当たり前、そんな毎日での生活でした。

中学生になり、自分の部屋が欲しくて、祖母が洋服などを置いていた部屋を妹と分けて使わせてもらいました。もちろん周りは障子、部屋といってもオープンスペースなのは間違いなく(;’∀’)学校に行って私がいない時間は、祖母の習字のお部屋、帰ってきても机と床のたくさんの書き残しがおいてあることがしばしば。

中学も高校も家の近く、家から電車に乗るなんでありえない、そんな教え、上からの言葉、男勝りの祖母、父親が常に一番、召使のような母親、そして同じ年の従妹との比較(外孫はかわいいです?)なんか暗かった気がします(笑)

当時、軟式テニスが大好きで短大でも軟式テニスができるところに行きたくて、千葉の短大を受けさせてもらいました。合格はしたものの条件は家から通う事でした。隣はすぐ群馬県という埼玉県民が千葉までの通学、それもテニスがやりたくて(笑)

学生なので、ハードな通勤時間を軽くクリアしながらサークル・学業を終了。

私が遠いところに家から通った実績を作ったおかげで妹二人は「学生寮」「一人暮らし」というなんか羨ましい道が出来ました。前例があると親もなれるのでしょうか?(笑)

私に関しての縛りは継続的でした。その当時、見えていた風景が少なかった事、もっと自由にいろんなことをやってみたい気持ち、たくさんありました。

人は15歳以上になると思考が働き、周りに見える景色から様々な事を考えるようになります。仕事をしてお金を得ると、ある程度自立ができるので、「家を出るために」結婚を選択することが一番でした。23歳という年齢でしたので、勢いで出ていきますが・・・・・この時も自営をやっている家の長女(娘3人で男子に恵まれませんでした)という事もあり、跡継ぎ問題などで散々な家族会議や、この時に関しては両親以外の親せきの反対や、相手否定から入る言葉など散々でした。

私にとっての味方は母の母だけでした。もう亡くなってしまいましたが、最後まで本当に私にとっての心の拠り所になるおばあちゃんでした。