闘病を見つめて3

いつもの定期検査でした。

そこで癌の腫瘍マーカーの数字が上がっていました。担当の医者からは腹膜播種だと告げられ、抗がん剤治療をやっていくしかない、との話を言われたという報告でした。

全部きれいに取れたって言ってたのに、再発って。

今回はセカンドオピニオンで他の病院でも話を聞いてみた方がいいと。

別の病院でも話を聞いてみましたが、やれることは抗がん剤、だが再発は今後の回復への可能性が低いなどの話をされ、結局どこへ行っても一緒なんだよ、でも他で話が出来た事で言われた通りの治療で仕方がないのかな、なんて受け入れ始めようという気持ちとなんとなくまだ何かできるのではないかと、どこかで必死でした。

今はスマホやpcでなんでも検索ができます。

腹膜播種と検索すると、やはり抗がん剤治療がメインになり、結果としてその後の事はあまり記載がありません。お腹の周りにある大切な腹膜という場所の中に点々と癌細胞が散らばって存在している状態、なので切除は不可能、そんな状態です。

そんな時でした。たけしの健康の医学的な番組内で腹膜播種を手術する先生が紹介されていました。たまたま目にしたテレビ番組から、この先生に話を聞いてみたいという事になり、連絡を取り、どうにか話を聞いてみるというところまでたどり着きます。

当時、この先生は関西の病院で手術を担当されている事で、診察も大阪や静岡などでしか行っていなく、面談も静岡の方まで妹と旦那さんと行ってという体に負担のかかる状態でした。

帰ってきて話を聞いたら、手術をする決断をしていました。なんでも、お腹を開けた状態の体内、臓器そのものに温熱療法を用いながら切除をしていく、できるから大丈夫という言葉を頂いたというお話。本当にやるの?という会話を何回もした記憶があります。

手術に当たってのリスク、同意書なるのもがとても厚い書面になっていて、読みながら心配になるようなことしか書いてない、可能性としては低いのかもしれないけど、これだけの事をリスクにしながら・・・でもやらないと、この先はなんとなく見えている・・何をどうやっても切除で根治できるのならと思う気持ちが強く最終決断はお願いするという運びになりました。

テレビに出るような先生なので、多忙、病院のベットの関係という事もあり時期はGW明けに決まりました。場所は関西、大阪のとある病院です。(ここは羽田空港の近くで大阪は関西、距離もあります)

その間、時間があるのでいろんな先生の話聞いてみたら?時々通っていた温熱療法の先生(内科の先生)にも相談してみたら?と。

内科の先生は腹膜をメスでいじるのは聞いたことがない。こんなお返事だったと話をしていたのを覚えています。

時間のある中、ニンジンリンゴジュ―スや水素水や試せる事はいろいろとやってはいました。

心配ごともそうですけど、子ども達どうしましょう。義母も疲労がたまったいたようで、私と妹も休日は交代で預かりながら、どうにか頑張りましょう、という対策をしました。(我が実家は田舎の遠方、家から出て生活をしたことがない両親です、東京に来てのお世話はできる状態ではありません、通える身内で何とかすることが精一杯でした)

体調がさほど思わしくない中ではありましたが、まだ外出や子どもとの時間を一緒に過ごすことはできていました。結果的に最後になってしまいましたが、GW前に我が家の両親と姉妹夫婦とみんなで温泉にも行きました。

このままなんでもない日々が続けばいいのに。そんな気持ちがみんなの中にあったと思います。

いよいよ手術の前日。大阪入りです。