闘病を見つめて6

何とか食事が少しづつ食べられる、何とか点滴を持ちながら歩ける、体重も40キロになるかならないかの身体、そんな状態の身体に本当に抗がん剤なんて大丈夫なんだろうか?不安しかありません。

効果のほどは、「効く場合もあるが、やってみないとわからない」そんな答えの中、一回目の抗がん剤投与が始まりました。

一回目、抗がん剤投与当日、洗濯物や必要なものを持って様子を見に行くと、ベットに横たわり呼びかけに反応しない妹、看護婦さんも何回も「●●さん」って呼んでました。妹の顔の血色は真っ白でした。呼びかけて2、3分だったでしょうか、何とかゆっくりと目を開けてくれました。

その時の血圧は上が100以下というかなり危険な状態でした。血圧を下げる薬はあっても上げる薬はありません、血圧が下がった時は医学も対応困難です。

ふぅ・・ビックリした、ほんの数分の出来事でしたがこのまま帰らぬ人になったらどうしようかと。この時は妹は何が起こったのだかわからずにいました。この時はさすがに身内の人間からも抗がん剤に対する危険性が感じられ、これ以上はやめた方がいいという反対意見が出ました。

抗がん剤が出来ないという不安から、病院においてあった本から自費治療の免疫療法をやってみたいという話がでました。この後も微熱が出たり、尿管の管に血液が混ざったりといろんなことがあり入院生活は長引きながらでした。

免疫療法は主治医に許可をもらい、体調の良い時に午後から外出の許可をもらい、治療を受けに行きました。私は2回くらい同行しました。カーテン敷居の個室状態でベットがいくつも並べてあり、その中の1ベットの上で横になりながら血液採取、やせ細った妹の腕から血液を3本くらいとります。3本全部とれない、これ以上血液が出てこない、いっぱいにならずに止まってしまう、見ているこちらからは、もういいでしょう、これ以上はやめてください、そんな言葉がでてしまう、でも看護婦さんは頑張ってと言いながら、何とか採取する、これ効果のほどはどんな感じなんでしょうか?大きな疑問でした。なかなか血液採取がうまくいかず外出時間を延長させた日もありました。

秋ごろになり少しだけ妹の体調の回復が見られ、今なら帰れるという先生たちの判断、後はストーマや尿管の定期検査をしようという結論になりました。先生たちは家族と過ごす時間を持つ事が今は一番いいのではないか、というお話でした。

家に帰れるのはとても嬉しいことです。でも小さな子供のとの生活の中に入る、生活面でのサポートが必要になります、近くにいた叔母や義母たちと協力しながら交代で食事のお世話、保育園のお迎えなど対応することにしました。

春先からの入院生活からやっと帰宅ができ、妹の40歳の誕生日(10月)、それは家族でお祝いすることが出来ました。

これが最後の誕生日となってしまいました。