闘病を見つめて5

入院生活は、術後の飛行機でやっとの思いで大阪から帰っくる、お腹から排出されるものも多い、疲れもあり高熱が続く日々が続きました。

ただでさえ手術で切除された部分が多く、体重が落ちているのに食べれない、腹膜炎を起こしている可能性が大との事で、かなり長い期間(1カ月くらいだつたでしょうか)点滴で過ごす日々、落ち着くまではナースステーション前の個室という何とも命がけの毎日でした。

不幸中の幸いとしては、お腹を閉じていない事が命の重大に関わっていました。中で炎症が起こっていたら、この時点でもうダメだったかもしれません。東京のこちらの先生も「他で受けた手術の後始末はしない、お腹を開けるような事は出来ない」様子を見るという方針でしか対応はしない、そんなお話でした。

本人の頑張りと気力で本当にゆっくりとではありましたが、一か月、二カ月とどうにか回復が見られてきました。気が付くと、夏の手前、季節が変わろうとしているところでした。

子ども達とも離れた生活が長く続きました。義母様も体力的にも厳しくなりこちらでも土日は預かるなど、みんなで交代をしながらどうにか乗り切っていました。

そんなある日、入院中の妹の次男(2歳前)が熱をだし、辛くて苦しい、ママに助けてほしい・・・訴えながら涙していたのを記憶しています。ママのそばがいい、寂しくて不安で仕方ない、涙がたくさんこぼれていました。胸が締め付けられる想いでした。今でも鮮明に光景が浮かびます。

夏になり、妹は何とか体力が戻りだした頃、定期検査からまた癌の腫瘍マーカーが上がりだしていると告げられ、抗がん剤の治療をすすめられました。どうにか食事ができるようになっただけの状態で体には尿管からの管が付いていてベットからは必要最低限でしか下りない、そんな体力の中です。

できる事はやりたいという妹自身の気持ちがあり、5月からの入院生活のまま、抗がん剤治療が始まりました。